やわらかい草


by てんてんこまる
 マチオには、好きな人がいました。
 白いかっぽう着から出た手首が、白く、か細い、人でした。彼女は、病の療
養のため、夫と二人でこの森に住んでいるのでした。彼女は、森に恋しており
ました。
 彼女は、昼間はいつもワンピースの上に白いかっぽう着を着ていて、ワン
ピースはいつも違うのです。レエスのついたもの、チェックの縁取りのもの、
くるみボタンの、麻の、スカートのすそが二重になったもの、花の模様、花の
模様、花の模様、エトセトラ、エトセトラ。彼女は夫が仕事に出掛けると、い
つもワンピースを縫っておりました。それから、白いかっぽう着の洗濯。夫の
服も洗って干します。それが彼女の仕事でした。残りのうちの仕事などは、す
べて夫がやっているのでした。彼はお医者様でした。患者だった彼女を好きに
なって、結婚して、この森で一緒に住むことにしたのです。彼女のほうも、も
う彼なしでは夜も昼も明けないのでした。
 3年前のある夜、旅に疲れたマチオが彼女たちの家の前で眠っていると、白
いリンネルのネグリジェを着た彼女がドアから飛び出してきたのでした。泣き
ながら走ってきた彼女は、マチオの上を飛び越えて駆けて行きました。後を追
って出てきた夫らしき人が、白いモヘアのカーディガンで彼女を捕まえて家へ
と連れ帰り、もうその時には彼女には笑顔が戻っていました。
 その時、マチオは彼女に恋をしたのでした。
 それからずっと、その野原にマチオは住んでいるのです。


 今日、夫の仕事は休みで、とてもよい天気でした。白いブランケットを野原
に敷いて、昼寝をしている夫の側で、彼女はワンピースを縫っていました。ち
くちくと動かす彼女の指先のちらと光る針を見ているうちに、マチオはなんだ
かむずむずしてきました。朝から、ずっと、そのむずむずはしていたのです。
彼女に一言、言いたくて、言いたいことがあって、そうして朝からマチオはむ
ずむずしていたのでした。そのため、ついうっかりマチオは彼女のこじんまり
とした足の裏に爪を立ててしまったのです。
「こらっ。」
と、彼女は先ほど飲み終えたばかりのアイスキャッフェ・オレのマグカップで
マチオの頭をこつんとたたきました。
「あなたが、あの夜、僕を飛び越えたときから、僕はあなたの、あなたのこじ
んまりとした足の裏を見たときから、あなたの足の裏を少しも傷つけない、青
く柔らかい草になりたい。僕はずっと、僕はずっと、そればかりを考えていま
した。」
マチオの鳴き声は風に乗って遠くのお空に「にゃー」と響いただけでした。
 水色の菊の花がちらとこっちを見たような気がして、悲しみに暮れるマチオ
は、少しすくわれた気持ちになりました。
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