時々はみえるもの


by てんてんこまる
 「『夏』と言う言葉から、何を思い浮かべるか?」
って聞いたら、「キングギドラ」と答えたやつがいた。
 ほかのヤツらは、「なんだって?」と言う顔をしながら、それでもすぐに、
かぶと虫だとか、かき氷だとか、夏休み、海だなんて、夏の代名詞を言った。
ところがそいつは、おそろしくまじめくさった顔で、「キングギドラだよ。」
と、答えたんだ。
 でも、そろそろこんなことを言い出すヤツがいてもおかしくないころだと、
僕はうすうす感じている。僕らの周りで、異常な現象が起きているんだ。
『夏』と言う言葉を聞いただけで、みんな、まゆげがぴくっとして、なんだ
か、炭酸ジュースを飲んだときみたいにうっとりした、まるで胸に何かを詰
まらせたような顔になって、目が潤む。何かが狂ってる。おかしいのは、一
つだけじゃないような気がする。かといって、全部が違っているわけじゃな
い。だけど、僕は気がついた。何とも、おかしなことだが、「今年は夏が遅
いっっ。」
 これは、いったいどうしたことだろう。


 テレビなんかでは、今年の春は暖かいですね。なんて言っている。春だっ
て?大人は気がついていないだけさ。春なんて、とっくに終わっている。も
うすぐ、夏だ。夏なんだ。みんな、待ってる。夏を待ってる。
 僕が調べてみた結果、一番あやしいのは、近所の動物園なんだ。動物園と
言っても、いるのは、すずめや鳩といった、どこでも見ることができる鳥ば
かり、メインは、20ぴきほどのサルがいるサル山だけ。だから僕らの間で
は、「サル公園」なんて呼ばれてる。サル山の横には、わりと大きめのオリ
がひとつあるが、サル公園には昔から数え切れないほどきているけど、この
中に動物がいたなんてことは、一度だってない。
 ところが、この中に何かがいることに気がついたのは一週間位前のことだ。
 とても大きな動物だ。
 うすぼんやりと見えることがある。でも、たいていは気配がするだけで、
鳴き声さえも聞いたことはない。だから、誰も気がつかないのは当然な訳で、
僕たちの夏が遅いのはコイツのせいなんじゃないかと、僕は見ている訳。
 でもそれから一週間、何もわからない。


 このことに気がついていたのは、てっきり僕だけだと思っていたのに、い
つもの様にサル公園に偵察にきた僕は、オリの前にたたずむイナリをみつけ
た。イナリは知っていたんだ、すべて。
 イナリは、同じクラスの女子で、女のくせに自分のことを、変なマンガの
主人公みたいに、「おいら」なんて言う。何をかくそう、「キングギドラ」
と答えたのは、このイナリだった。
「おい、イナリ。」
声をかけてみて、僕ははっとした。
「コイツを、このオリのなかにいるヤツをやっつけるんだね。」
イナリの目を見ればわかった。勇気でりんりんと輝いていたもの。
「やっつけやしないよ。説得して、夏を返してもらうんだ。」
イナリは女の子らしい顔で、にっこりと笑って、その大いなる勇気でオリの
中の「何か」に話し掛けた。(何と、その何かが見えるらしいのだ。話もで
きる)
「どうして夏を止めたりなんかしているの?夏を返してくれない?おいらた
ち、とっても困っているんだよ。」
『イヤだね。』
驚いた。ヤツの声は、僕らの頭の中に響いてくるのだった。だから、動物園
にいる人は誰も気づかない。僕は呆気に取られて、しばらくは何も考えられ
ないでいた。二人の会話は、夢の中の出来事のように、けれどしっかりと、
ありありとして、僕をゆるがした。
「こいつ、花粉症なんだって。」
やがて、イナリが僕に言った。
「うん、聞いていたよ。」
なんと、コイツはひまわりの花粉症だというのだ。そんなの、聞いたことが
ないけど、それなら、夏が来てほしくないって気持ちも分からなくもない。
花粉症の人っていうのは、見ているだけで、こっちまでむずがゆくなる。で
も、そんなコジンテキ(よく大人が使ってる言葉だけど)な理由で僕らの夏
をを止めるなんて許せない。それに、スギ花粉なんかの人は、これからずっ
と涙と鼻水に悩まされつづけなくっちゃなれない。
「でも、このまま夏がこないようにエネルギーを使いつづけることなんてで
きないじゃないの。」
 たしかに、コイツはもうだいぶ弱りかけていて、とっても辛そうだった。
イナリの声は優しかった。とうとう、コイツは泣き出してしまった。
『ごめんね。ごめんね。ごめんね。………』
「困ったなあ。ひまわりが咲かないところっていうのはないかしら?」
「さあ…、あ、南極とか砂漠とか。」
僕は言った。
「いいね。そこへ行こうよ。」
イナリが笑った。僕は、一瞬たじろいだ。
「僕は、僕は…、行けない。」
「何故?」
学校とか、野球チームのこととかが、頭の中をぐるぐるとかけまわっていた。
「だってさ…。」
イナリの顔がみるみる悲しそうになっていった。
「ごめん。だって、あんまり急じゃないか。」
「かまわない。いいよ。おいらとコイツとで行くから。」
「でも、どうやって?」
「君が、コイツの名前を呼んでくれればいいんだよ。」
「名前…?]
僕はすべてを思い出した。昔から、このオリの中には、コイツがいたじゃない
か。忘れちまっていた。夏の日のこと。いつも、目を真っ赤にして、くしゃみ
ばかりしていた。金色で、頭が3つの怪物。もっと、子供だったころは、ちゃ
んと見えていたじゃないか。ペンキのはげかかった立て札にうっすらと描いて
あるのが読める。
「キングギドラ」
僕はつぶやいた。と、突然すごい竜巻が起こって、イナリもキングギドラも空
のかなた。ひゅーんと飛んでいっちまった。さよならを言う暇さえなかった。
「お母さん、キングギドラいなくなっちゃった。」
なんて、どこかの小さな子供が言ったけれど、お母さんのほうはちょっと笑っ
ただけだった。


 反射とか屈折とかってあるだろう?ある地点でなきゃ見えない物だってある。
虹なんかだって、ある一定の条件がそろっていなきゃいけないんだ。キングギ
ドラもそういうものだったのだろう。


 学校では、誰もイナリのことを話したりしなかった。みんな、本当にイナリ
がいなくなったことに気がつかないのか、気が付かないふりをして黙っている
ようにも見えた。
 僕は大人になったら南極に行く。イナリとキングギドラが南極にいなかった
ら、砂漠だ。アフリカやエジプトや、そこにもいなかったら、ひまわりの咲か
ない所を探して世界中を旅する。そうして今度はイナリを一人になんかしない。
僕と、キングギドラとイナリと3人で暮らすんだ。なんて言う思いが日増しに
強くなり、今は本当に何もいなくなったオリの前をとおりすぎ、またやってく
る夏のことを考える。
F I N

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